建物の意志

Invisible

変なタイトルです(^m^)
んなワケあるかぁ!と思うのも自由、
なになに、それなに?と思うのも自由。

ただ、石の意思(笑)みたいな話をちょいちょいしている私は、
無機物にだって、人工物にだって、なんらかの意志のようなものが宿っていても、
きっとおかしくないというスタンスで、このところ生きています。

拾うものは、過去にその物体に関わった生命の、残留思念のようなものもありますが、
決してそれだけではないと、本当に思っています。

以前、旧〇〇邸というような場所に行った時には、
残留思念のようなものは、映像で入ってきました。
それは、その場所が華やかだった頃の、キラキラした美しい日常でした。
その場所が大好きで、その場所に誇りをもって生きていたであろう人達の。
そして帰る頃、振り返って仰ぎ見たその建物は、伝えてきました。
「ねえ、またおいで。またおいでよ」
同時に、昔のように人々が華やかに集い生活をし、楽しむ場所である自分を、
哀しいほど懐かしがっているような、もっともっとそれを望んでいるような、
そしてそのことに気付いてくれる生き物を、探し求めているような。
懐かしさの甘酸っぱさと、なんだか分からないけど、少しじりっとしたひりっとした感覚も。

本当にまたフラリと行ってみようと思い、
帰宅後、いつ頃にしようかとちょっと考えていた時、
背後の存在に止められました。
「ひとりでは行かないほうがいい」
あ~・・・瞬間、納得しちゃったんですけどもね。
「そういう感覚」を自分でもようやく認識し始め、
今感じているコレは「そういうコト」なんだな?と認め始めた頃だったので。
そんな私でも、はっきりと気づいたあの場所は、
なかなかに強いものを放っていたのだろうと思います。
あ、あの、ヘッポコな私はヒトリで行かないほうがいいってコトなので、普通は大丈夫だと思いますから( ̄▽ ̄ゞ

実は先日もありましてね。
普段から全て意識がそこに向かっているワケではないので、
最初は、全然気づかなかったんですけど。

10月20日と21日、佐々木茉璃さんと伊東昌美さんと三人展を致します。
その会場の、詳細のサイズ計測等々のため、茉璃さんと一緒に、
会場である千葉市美術館のさや堂ホールにいた時でした。

それまで、あの場所でそんなことを感じたことは全くなかったにも関わらず。
その日、茉璃さんは「重さ」を感じ、
私は、急に右肩が痛くなって、それに気づいた時には既に、
真上を向けないほど、首が動かなくなっていました。

ご存じの方もいらっしゃると思いますが、
水晶枕を常用していますので、私。
日常的な首のコリとか肩のコリとか頭痛とか、
ほぼほぼ、縁のない毎日を送れています。
5年前10年前の自分に教えてやりたいくらいですよ。
昔は、酷い頭痛持ちで、鎮痛剤はたくさん常備していましたし、持ち歩いていましたし、
余りに酷い頭痛や肩凝りをなんとかしたくて通い始めた整体も、
最初の頃は毎週、徐々に2週間に一度になりましたが、
それくらいの頻度で定期的に調整して貰わないと、仕事にならないくらいでしたから。
(あ、調子の良い今も、定期的なメンテナンスの有効性は感じていますので、
3週間から1カ月に一度通っていますが)

なので、茉璃さんの前で、
「なんっか肩痛いんですよねえ、おっかしいなあ、急になんだよなあ」とか、
ぶつぶつと呟いてました。

そして会場を出たのですが、後で聞いたところによるとその時既に茉璃さんは、
早く出ようと思っていたらしいです(笑)
で、ドトールで一息ついた時、
開口一番、茉璃さんが少々首を捻りながら言ったのは、
「会場の浄化もしといたほうがいいね。なんか重かった、今日」

だけどこの時はまだ、茉璃さんも私も気づいていなかったんですよ、多分。
ただ茉璃さんは、それまでは全く気が付かなかったけど、
あの会場にはなんか重いエネルギーがあるなあと感じ、
私は特に、自分の肩や首の不調を、会場と結び付けてはいませんでした。

そしてこういう時は甘いもの(^m^)
無意識に食べる時もありますし、意識的に採る時もありますが、
多分この日、私は無意識、茉璃さんは意識的だったと思います。
食べながら、飲みながら、とりとめなくいろいろと話していたんですが。

その中で突然、本当に今思えば突然、私の口から
「さや堂が可哀そうなんですよね」
と出たんですね。

いや、思ってもみなかったコトなんだよ、実は。
それまで意識的にそんなこと、考えたこともなかったんです。

さや堂は、昭和初期の建物を保存したもの、市の指定文化財として保護されているものです。
だけど市民には解放していますよという状態。
手続きを踏めば、借りられますし、
特に催しもない時は、普通に開放されていて、
通路代わりに(笑)人が歩いていたり、隅っこに座って休憩していたりします。
テレビドラマや音楽PVの撮影やコスプレ撮影に使われることも多いので、
たまに、そんな撮影隊の下見の方が見学してることもありますけど。

だから、勿体ないとは思っていました。
使い方等々、考えて工夫することは、もっともっとできるはずと、
そういう感覚はずっと持っていました。
けど、現状こうだから、私達にも借りられるワケなんだけどね。
ところが、この発言。
我ながら(^m^)

そして、そう口にしたその瞬間、
私の首はするっと回るようになりました。
肩の痛みも、ウソのように消え失せました。

あれっ、あれれって、その場で首まわしたよね~。
目の前で、茉璃さんも、んー?って見てたよね~。

そんなとりとめないやり取りの中で、茉璃さんも気づいたようなんです。
私達がつけた、三人展のタイトル。
「Ancient Memories」
このタイトルを付けたことで、さや堂の何かと繋がったのではないかと。
だから、今まで感じたことのなかった「重さ」を感じ、
天井の上に配された、ガラスのピラミッドの辺りから
何かの「意思」のようなものにずうっと見下ろされているように、感じていたのではないかと。

あるんだよ、不思議でしょ、ど真ん中の天井上にガラスのピラミッドが。

通りに面した外からはこう見えます。

さや堂も「Ancient Memories」だったのですね。
だから繋がったんだと思います。
建物の意志と。
「自分を生かしてくれる存在か?おまえたちは」
そんな感じだったのかもね。
そして軽くジャブ、みたいな。

う~ん、私が書くと、重々しさがなくなるなあ(笑)

帰宅後、私は茉璃さんにこんなメッセを送っています。
私、さや堂かわいそうですよって言ったの、私じゃなかったですね(笑)言わされたね(^m^)
その場では気づかないって、どんだけボンクラだよっ!なんですけども。

そんなこんなが、この茉璃さんの投稿に繋がるのでした。

古からの贈り物である、建物とのコラボレーション。
茉璃さんの中に、畏敬の念が湧き上がったそうです。

「月千古輝」
何時の世も変わる事なき明日の光が、くまなく燦々と降りそそぐ。悠々たる秋の夜長の風情。

いつの世も変わることなき明日の光。
建造物だって、それを見ていたいのかもしれない。
保存されているだけでなく、いや、保存されているからこそ、
自分らしく輝きたいのかもしれない。
そんな場面を、ゆったりとそこにあるまま、待ち続けていたのかもしれない。
そんな気も、致します。

ちょうどその頃、お仕事中だった伊東昌美さんも、
ぽんっと左肩を叩かれていたそうです。
振り返ると誰もいないっていう。
昌美さんは昌美さんでご自身の、
今後も続く、アーティストとして大切なことを発掘されていました。
多分、左肩は自分自身の何かに関わるお知らせ♪

残り一カ月と少し。
精一杯、準備したいと思います。
どうぞみなさま、お誘い合わせの上、お越しください。
三人展「Ancient Memories 月千古輝」

 

 

[template id=”520″]