12月なのに、日中は温かいなあと思いながら、
ぼーっとネットをザッピングするように眺めていたら、
ふと、こんな表記が目につきました。
子供達の受験で、母がイライラカリカリ。
ん?
もう一度読み直す。
子供達の受験が、不安で心配で、母がイライラカリカリ。
こうやって文章にすると、ちょっと見えてきませんか?
するするっと、もつれた糸がほどけるように。
気持ちは分かります。
私も息子達2人、それぞれ高校大学と4回の受験生の親をしました。
小学校中学校での塾通いも、
高校での予備校通いも、それぞれしています。
ああ、本人は全く本気じゃなかったけど、次男、
その年から募集を開始した公立の中高一貫校の中学受験したっけ。
当然ながら、箸にも棒にもひっかかりませんでしたけど(^m^)
受験に挑むのは子供達です。
不安や心配を一番抱えているのは、当の本人達です。
気持ちは分かります。
でも、どっしりと見守りながら、
本来は精一杯の背後のサポートをしてあげたいだろう親が、
「自分の」イライラカリカリを、子供達に伝えてどうしましょう。
言葉にして伝えてないとお思いでしょうか。
いやいや、伝わっていますよ。
子供達の親を観察する力をナメちゃいけない。
「自分の」じゃなくて「子供のための」だとお思いでしょうか。
イライラが?
カリカリが?
本当ですか?
本当にお子さんのためのイライラですか?
大事な受験なのに。
ちっとも本気になってくれない。
ちっとも勉強しない。
例えばそれで、芳しくない結果を見た時、
それは親のサポートが、叱咤激励が足りなかったからの結果なのでしょうか。
その結果の、その人生の責任を負うのは親なのでしょうか。
大事な受験が、思うようにいかなかったらどうしよう。
「思うように」
それは誰の「思うように」でしょうか?
できるだけ「いい学校」に行かせたい。
それは誰の希望でしょうか?
今の日本の制度では、
できるだけいい学校、できるだけいい会社、できるだけいい生活と繋がるから、
最初の受験から失敗して欲しくない?
それは、昭和~平成の理屈ですね。
子供達がこれから生きていくのは、
どんな価値観が待っているかも分からない、親も知らない、その先の世代です。
そもそも、いい学校ってなんでしょう。
いい会社ってなんでしょう。
そこがぴったり資質に合っていたり、
順応できて生き生きと生きていけるならば、問題は何もありませんが、
本人の質に合わない、世間の尺度でいうところの「いい学校」「いい会社」
そういった場所で資質を抑え込まれ、
とてつもない我慢を強いられることだってあるかもしれませんよね。
そこは本人にとっての「いい場所」ではない訳です。
でも、それまで親の意向に従って「いい子」を続けてきた子供達は、
親が悲しむと思うと、我慢するでしょう。
親が喜んでいるこの「いい環境」を、自分の意思で手放すのは怖いでしょう。
結果、青年期中年期に心が悲鳴をあげている方々が、この現代でもどれだけ多いことか。
そんなふうに、可能性や危険性も含めて、
じっくり紐解いてみるといいんじゃないかなあと思うんです。
勉強しないのならば、志望校のレベルを落とすしかないですよね。
合格しようと思うならば、それしかないですよね。
それがイヤならば、本人が勉強するしかない。
でも勉強はしない、志望校も変えたくない、そう言い張るのだとしたら、
それも本人の勉強のひとつなのではないのかなあと思います。
もしかしたら、公立ならば経済的に楽だから、
私立に行かせるのは負担だから、
そしてそれがかなり切実だから。
そんな事情もあるのかもしれません。
けど、だとしても、だとしても、です。
現在の経済状況では、私立に通わせるのはとても難しいこと、
親としては申し訳ないと思っているなども含めて、
正直に子供に伝え、相談してみたでしょうか。
受験をする年齢の子供は、年端も行かない、理屈の分からない幼児ではありません。
立派な家族の一員です。
それまでの親子関係ということもありますけど、
真摯な親の態度が言葉が、そこから語られる家庭状況が、
心に響かないはずはないと思うんですが、いかがなもんでしょう。
過度な心配は呪いと一緒です。
まとわりつく念と一緒だと思うんですよ。
そりゃ当然、親だって揺らぐことはありますよね。
同世代同士、グチをこぼすなんてぇことも、あったっていいでしょう(^m^)
でも、基本姿勢としては、
彼らの可能性を信じて、
その心配や不安を、自分達の存在によって軽減して貰えるよう、
何があっても見守る覚悟をしておくことなんじゃないのかなあ。
そして彼らの邪魔をしない。
特に自分や、自分の親たちからの古い価値観で。
それが、今、子供のために親ができることのような気が、私は、致します。
私はね。
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