ティファニー社が命名した石達

Stones

アメリカのティファニー社。
ダイヤモンドやシルバージュエリーで有名ですよね。
「ティファニーで朝食を」って小説が、
オードリー・ヘプバーン主演で映画になったりもしてますし、
あのブランドカラーのキレイなブルーグリーンを、見たことない方は少ないかなと思います。
昔々、シルバーアクセサリーのオープンハートとかビーンズとかも流行ったっけ。

で、そのティファニー社が命名した石達がいくつかあったなあと、
昨日ツァボライトの写真を見ていて思ったので、
ちょっとまとめてみようと思います。

今、一番有名なのはタンザナイトかもしれませんが、
ティファニーと言ったら、まずは、クンツ博士のコトを書かねばなるまいよ(笑)

 

ジョージ・フレデリック・クンツ博士

ティファニー社の創業は1837年でした。
当時は、ティファニー・アンド・ヤングという名前で、
チャールズ・ルイス・ティファニーとジョン・B・ヤング、2人で作った会社だったんですね。
今のような宝飾業ではなくて、装飾品や文具とかも扱っていたそうですが。

それが1848年、フランス2月革命の時に、
貴族たちが手放した宝石類を大量に買い取って宝飾業界に参入、それが大成功して、
1853年には、チャールズ・ルイス・ティファニーが全権を握り、
社名を Tiffany & Co. にして、現在に至ります。

そんなチャールズ・ルイス・ティファニーの元に、
自分が集めた宝石コレクションを担いで(笑)やってきた
若干ハタチ(確かその程度だったはず)の青年が、
ジョージ・フレデリック・クンツだったんです。
多分、1870年代だったはずですね。
彼は、自分が足で稼いだコレクションをどどーっと見せ、
ヨーロッパの宝石を買い付けて成功したティファニーの社長に言いました。

アメリカにだって、こんなに素晴らしい宝石があるんです。
まだまだ発見されていないものも、たっくさんあるはずなんです。

いや、セリフはどうか分かりませんけど(^m^)
そういうことだったみたいなんですよ。

既にアメリカの宝石業界ではトップランナーだった会社の社長に、
単身コレクションを持って乗り込んでいったというのもすごい話ですし、
彼に直接社長が会ってくれたというのも、現代で考えたらすごい話ですが、
更にそこから、社長はクンツ青年に言ったんですな。

費用のことは全く気にしなくていい
これと思う宝石を集めてきてくれ

これもまたすごいお話です。
この時点で、クンツさんの持っていたコレクションは
年齢を考えると、驚くほどの量だったということですし、
既に鉱物学を人に教えたりもしていたらしいんですけど、
その石達を見て決断した社長も、カッコイイ♪

ティファニー社からの潤沢な資金を得たクンツ青年は、
アメリカ国内だけでなく、世界中を回って、次々に宝石を集めました。

ちなみにこの方、知識だけでなくて技術もあったようです。
現在、ニューヨークの本店に展示されている128.54カラットのティファニー・ダイヤモンドは、
1877年に南アフリカのキンバリーで発見された、巨大なイエローダイヤモンドです。
それまでダイヤモンドの中では、価値が低いとされてきた
イエローの概念を覆すほどの素晴らしさだったそうですが、
ティファニー社が買い取り、そこにカットを施したのは、クンツさんだったんだそうです。
いろいろと事実を並べて調べていたら、このダイヤモンド、
2016年に日本で公開されているんですね~、知らなかったな。

その後、クンツさん、
1889年には、モルガン財閥の創始者であり、ティファニーのスポンサーでもあった、
宝石コレクター、ジョン・ピアポント・モルガンのコレクションを作り、
パリの万国博覧会で2つの金賞を受賞します。
彼の集めた更に上質のモルガンコレクションは、
1900年のパリ万国博覧会にも出品され、
その宝石たちは現在、アメリカの自然史博物館に寄贈されているそうです。
行けば見られるってことですよね・・・ああ、アメリカ・・・

 

モンタナサファイヤ

1865年に、モンタナ州で、アメリカ初のサファイヤが発見されました。
当時その周辺では、砂金の採掘が盛んだったため、鉱夫たちが次々に見つけたらしいんですが、
透明度は高いものの、結晶が小さくて色も薄くて、工業用として使用はできても、
宝石として使うには至らなかったようなんですね。

ですが1879年、ヨーゴ峡谷というところで、青の濃い美しい結晶が見つかりました。
当初はサファイヤだとは認められなかったらしいのですが、
1885年、ティファニー社に送られたそれを、
クンツさんが、こ~れは美しいコーンフラワーブルーだ~!と大絶賛。
それが、モンタナサファイヤが世に出るキッカケとなりました。

モンタナサファイヤは、一般的なサファイヤよりも、少しダークな色合いのブルーみたいです。
スワロフスキー社のクリスタルガラスに、モンタナという色があるのですけど、
多分あれは、ここから名付けているのではないかなと思います。

モンタナ州のサファイヤは、人工サファイヤの開発によって、工業用としての需要は途絶えたものの、
その後、加熱処理で色を濃くする技術が発達したことにより、また需要が増えるなど、栄枯盛衰を繰り返した後、
原石の枯渇やコストの問題等々で、宝石用としてのヨーゴ峡谷の鉱山も、2005年に閉山となっているようです。

 

クンツァイト

1902年、クンツさんの元にアメリカ、サンディエゴで発見された、
極めて珍しいライラックピンク色の石が持ち込まれました。
彼はそれを、新種のリシア輝石(スポデューメン)であると鑑定しました。

リシア輝石は、黄色のトリフェーン、グリーンのヒデナイトは既に発見されていて、
実はヒデナイトと同じ頃、コネチカットで淡い紫がかったものも見つかっていたのだそうです。
なので、クンツさん、ぜったいキレイなピンク~紫があるはずだと、待ち続けていたらしいのね。
だから、美しいライラックピンク色が見つかった時、とっても喜んだようです。
20年近く待っていたんですもんね。
で、翌年、彼の功績を称えて命名された、これが、クンツァイトです。

うちのショップのクンツァイト原石

こういう繊維質状に見える石は、劈開性があって割れやすいんですが、
でもクンツァイト、とってもいい石なんですよね~。
私は大好きですねえ♪
ショップのこの石は、アフガニスタン産。
たくさんあった原石の中から、色味の濃いのだけをピックアップしてきたものです。

GIA(Gemological Institute of America) のサイトには、クンツ博士の写真と共に、
当時クンツさんが撮ったらしい、クンツァイトの写真がアップされています。
1902年の写真、こんなにキレイなカラーで残ってるの?
と思ったんだけど、そうか、現代か、どうにでも加工修正できるか( ̄▽ ̄ゞ

ちなみに、リシア輝石のスポジューメンというのは、
「燃えて灰になった」というギリシャ語からきてるんですって(笑)
宝石質の石達が発見される以前は、
風化が激しく、灰色で不透明なものばかりだったからなんだそう。
宝石名の由来はなかなか興味深いのですけど、
(以前ショップに書いたボーウェナイトみたいに)
それだけでなく、鉱物名の由来も面白いんですよね(^m^)

 

モルガナイト

1911年にクンツさんは、マダガスカルから持ち込まれた石達の中から、
淡いピンク色を石を見つけます。
それは、それまで発見されていなかった、ピンク色のベリルでした。
ベリル族って、水色ならアクアマリン、緑ならエメラルドですよ。
クンツさんはこの石に興味を示した、先に出てきた大実業家、J・P・モルガンに因み、
この石をモルガナイトと名付けました。

こちらもうちのショップの大玉モルガナイトとパープルに見えるのはクンツァイト。
双方ともとってもとってもかわいい石なんですけど、
名前の由来は両方ともヒゲのおっさ…

ちなみに、私が石屋を始めてからもまだ、ピンクアクアマリンって名前で
モルガナイトを扱っている問屋さんもありました。
最近かもしれないですよね、モルガナイトの名前が定着してきたのは。

そういえばモルガンさん、大富豪でしたので、宝石だけでなく、
いっろっんな収集家だったんですよね。
メトロポリタン美術館の展示品の多くが、J・P・モルガン寄贈。
行けばみられるのですよ。ああ、アメリカ・・・

 

クンツ博士は、大学で地質学などを勉強したわけではなく、
文献やフィールドワークから、豊富な専門知識を得た在野の研究者だったワケなんですが、
後に、いろんな大学から名誉学位を与えられているんですね。
記載が正しければ、ティファニー社の副社長になったのも、23歳くらいの時だったとか。
社長の元に、自分のコレクション担いで乗り込んで間もなくのコトですよ。
すんごい情熱だったんでしょうねえ。

宝石商としては米国内で筆頭ともいえる会社でしたので、
政府関連の仕事もたくさんしています。
モルガンコレクションのところでも触れましたが、
1900年前後盛んだった何度かの国際博覧会では、
アメリカを代表する鉱物展示チームを率いていたようですし、
宝石の測定単位のカラットを制定する際にも、大きな役割を担っていた模様です。

1932年75才で亡くなるまでに、たくさんの著書や論文も残しています。
発掘されたオルメカ文明の、特徴的な儀式用の翡翠の斧について、
最初に文献に記述したのはクンツ博士だったらしく、
その特徴的な翡翠の加工物は「クンツアックス」という名前がついている、とかね。

残念ながら、日本語で読めるものは少ないのですけど、
英語だったら、インターネットアーカイブにかなりあるようです。
見てきたけどさ~、ま~、読めないよね~(涙)
インターネットアーカイブ、スキャン画像なので、翻訳もできないよねー(棒読み)

そんなクンツ博士が亡くなって30数年後、
アフリカで2つの宝石が発見されます。

 

タンザナイト、ツァボライト

ひとつは、
1967年、タンザニアのメレラニ鉱山で見つかった、透明なブルーの石。
それまでブルーの石で透明というのは、ほとんどなかったそうで、
ティファニーに持ち込まれ、後に社長となるヘンリー・B・プラットが
それを、タンザニアの夜、タンザナイトと名付けました。

これ、鉱物としてはピンクとかグリーンが既にある、ゾイサイトのブルーなんですけど、
ブルーゾイサイトと言う名前が、スーサイド(自殺)に似てるよね…むむむ、だったようで(笑)
(ゾイサイトも元はゾイスさんって人の名前だったような気がする(^m^)
そのままの名称ではイマイチでしょーよって、つけられたらしいんですよ。
なんかちょっと失礼(大笑)
でもタンザナイト、美しい名前だからいっか。

今のところ、取り扱ってきた中で最上級のタンザナイトです。
オーダー等でご希望の方に、ちびちびと使っているので、
既にブレスレットの形では残っていませんが。
これは光を当てているんですが、この写真よりも少し赤味の入ったブルーですね。
以前は「透明な青」「濃い青」に価値があるとされていたんですけど、
多色性とまではいかないもののの、角度によって色のニュアンスの変わる石なので、
今ではそこも評価の対象になっているようです。

そして同時期、タンザニアとケニアで見つかったグリーングロッシュラーガーネット、ツァボライト。
これが、タンザナイトの発見とも関わっていたらしくって。
タンザナイトとツァボライトは、時々一緒に出てくるようなんですよね。
ツァボライトが環境により分解されてゾイサイトとして結晶し、
ツァボライトに含まれていたバナジウムとクロムによってタンザナイト色になるというのも、理にかなっている模様。

さて当時、多分アフリカ大陸のあちこちに、ヨーロッパやアメリカの資本が入り込んだのでしょう。
いろいろな鉱物や宝石が、ヨーロッパやアメリカに持ち込まれていたらしいんです。
その中で、元々先に見つかっていたのかな、タンザニアで、
グリーングロッシュラーガーネットのほうが。

なんだけど、調べるための輸出する際の、許可問題が難しかったのだそうですよ。
国立公園内だったからなのかな、〇〇部族の土地のものとかそういうことだったのかな、
そこら辺のところはよく分からないんですが。

で、ティファニー社からタンザナイトの調査依頼を受けていたスコットランドの地質学者が、
タンザニアとケニアとの国境付近まで足を延ばし、ケニアでもツァボライトを見つけ、
タンザナイトと共に、ティファニーに持ち帰って、鑑別することができたと。
それを、先のヘンリー・B・プラットが、ツァボ国立公園の名前をとって、
ツァボライトと命名したのでした。

先日もアップしましたが、うちにはコレしかないツァボライト。
あまり大きな結晶ではでて来ないこともあってか、やっぱり宝石用の石ですね。

 

 

いや、長過ぎた( ̄▽ ̄ゞ
以上、ティファニー社の名付けた宝石たち、でした。

こういうことを書こうと思うと、あんまし曖昧に知ってるってだけじゃいかんなと、
改めてあっちこっち調べまくるんですよねえ。
で、自分がほうほうと納得したことを言葉にしていくでしょう?
そうするとね、平気で5時間6時間たっちゃうんですよ、
いろいろと読みふけっちゃうってコトもあって(笑)

とーてもとても、10分や20分でちゃちゃっとお役立ち記事なんて、
あたくしには書けないんですよねえ~、ううう。
でも、楽しいんだもん、ほ~、そうだったのかぁ!が。
で、長すぎて、そんなん読めない、とか言われちゃうんですケドね( ̄▽ ̄ゞ

うはは、ここまでお付き合い頂いた方がいらしたら、
どうもありがとうございました。

ちなみに、クンツ博士のお嬢さんのお名前は、ルビーさん♪
そこつけたか、さすがだな~(^m^)←

 

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