うちの白いのが舞鈴を欲しがったわけ(1) ←イマココ
うちの白いのが舞鈴を欲しがったわけ(2)
うちの白いのが舞鈴を欲しがったわけ(3)
タイトルとは矛盾するんですけど、
未だに、欲しがった訳は、はっきりとは分かりません。
きっとなんとなく分かっていくのは、これからなのだろうと思っています。
以前からの経緯をご存じない方のために。
うちには、というか私には、目に見えないスピリット達が数体います。
この5~6年かけて、少しずつ認識してきたものなんですが、
中には、幼少期、1~2歳の頃には、
既に出会っていたのだろうスピリットもいますし、
つい数年前、ぽっと意識したものもいますし、
高速道路を運転中、あり得ないほどの大雨が上がってほっとした途端、
そそそっと出て来て、とても丁寧に名前を名乗ってくれたものもいます。
そんなの気のせいでしょー?と思われる方がいらしたとしても、
そうかもしれませんね~としか答えられないし、
そのご意見を肯定も否定も致しません。
私はある意味、遅咲き?で、
物心がつくかつかないかの頃には、多分キャッチしていた感覚を、
その後長じるにつれ、ないものとして生きてきた典型です。
私の育った田舎の家は、お寺の参道の2軒隣にあります。
小さい頃は、野辺送りの葬列が家の前を通るのが、
列が見える前から分かる子供でした。
そういう時は、すうっと視界の四隅が暗くなるんです。
あ、来ると思うと、人一倍怖がりだった私は、
お鈴の音が聞こえるかどうかくらいのうちから、
奥の部屋に逃げ込んでいました。
今にして思えば、私が葬列に感じていたものは、
亡くなった方のなんとかとか、お化けがなんとかとか、
そういったものではなく、葬列に参列している方々の、
哀しみの波動だったように思います。
多分その頃と同じくらいだったと思うのですが、
前世の最期の夢を見て、毎晩うなされていた時期もあります。
夢で飛び起きるのですが、目を開いてもそこに、見えているのです。
前世の私が亡くなった時の水が。
今、自分の目に見えているものが、
誰にも見えていない、誰にも分かって貰えない。
前世の自分から伝わってくる絶望や諦観とは別に、
子供の私はそこに絶望することになりました。
一般的にはそれを「ただの寝ぼけ」と言うのでしょうが(笑)
それでも、何度も何度も全く同じ夢を見て、
全く同じことを感じて、
半狂乱になって泣き騒ぎ、暴れる余りの状態に、
この子はどうかしてしまったのかもしれないという心配が、
徐々に怒りに転じていた家族の、まさにその安否を、
小さな私は手を振り払って大暴れするほど心配していたのでした。
家族もみんな一緒に死んでしまうかもしれない。
死んじゃやだ、だから早く逃げて、早く気付いて!
そりゃあ、必死ですよ。
叩かれたって蹴られたって、収まりはしません。
でも、それをきちんと言葉で伝えることは、
当時の私には無理でした。
他にも、幼少期の奇行(笑)みたいなものは、
実はいろいろと聞かされていたりします(^m^)
確かにまあ、あの時代、昭和30年代後半40年代ですから、
相当に育てにくい子供だったことでしょうと、今なら分かるし、
今なら当時30代くらいだった親にも同情しますけどね。
石を扱うようになってから、
てのひらを観るようになってから、
他にもいろいろな方々との出会いが
大きなキッカケになったということもありつつ、
徐々に昔のことを思い出し、少しずつ認め整理していくことで、
私のいわゆるインナーチャイルドは癒されていったのだと思います。
同時に、感じていること、そんな気がすると思うこと、
思考を使うと「まさかね、あり得ないよね」と、
自分で否定して変化なく日常に戻っていたこと、
そんなこんなも一旦「ある」としてみよう、
そんなリハビリ?みたいなこともしていきました。
そして気付けば、意外と大所帯(笑)
今回、舞鈴を欲しがったのは、上の写真のような真っ白なキツネ。
自らぺこりとお辞儀をして
「ぼく、しろたえと言います」と名乗ってきた、
うちの実家の庭先にあるお稲荷さんにいたキツネでした。
長くなりそうですので(2)に続きます。
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