うちの白いのが舞鈴を欲しがったわけ(2)

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うちの白いのが舞鈴を欲しがったわけ(3)

なかなか舞鈴の話に辿り着きませんが。
この際、アメブロじゃなくてWordpressのほうにもちゃんと書いとけ、
と、どこぞから。
というワケで、実家のお稲荷さんにいた白妙のこと、最初から書いてみます。
舞鈴の話はその後←(笑)

2017年6月11日に、私の父は亡くなりました。
なのでその頃は、月に何度も、
車で千葉から栃木までお見舞い日帰りしてたんですね。
しかも私、都内経由だと途中のジャンクションが怖いので、
茨城経由で行ってたんですよ、圏央道使って。

圏央道~常磐道付近って、強風の日が多かったり、いきなり雨降ってきたり、
天候が不安定な地域なんでしょうかね~。
北関東自動車道に入ると安定して、いつもほっとしてたっけ。
あれ、もしかして、私だけなんか?いやいやないない(^m^)

あ、そういえば、父の葬儀周辺、実家周りにも、
いろいろとございましたねえ、不思議話。
ただ、それを書くと、またとんでもなく長い脱線となるので、
あとで別立てで残しておこうかな。
人が亡くなるといろいろとあるとは聞きますし、
あれが平均的なものなのか、少なめなのか多めなのか分かりませんが、
私の感覚では、とーちゃん、結構やってくれたよね、です(大笑)

そんな事情で、3月くらいから実家に通う中で、
私には気になっているところが2点、ありました。

ひとつはその時既に私についてくれていた、1体のスピリットの川。
自宅前の川幅1メートルあるかないかの小さな川でした。
以前は、倉敷の美観地区や、水郷佐原、蔵の街栃木、みたいに、
川は1本、真ん中に流れていたそうなんですが、
県道の舗装工事の際に2本に分けられて、道路の両脇に寄せられ、
さらにそれが現在は暗渠になっています。
それで力も記憶も無くしたスピリットが、
手乗り一反木綿みたいな、へろっへろのちびっちびになって、
気づいたらうちにいた訳ですが、それもまたいずれ。
私は小さい頃、その川に落ちて流されています。
当時も本人はピンピンしていて全くダメージはなかったんですけど、
あと少し遠くまで流されていたら、
本流と合流する助け出せない道路の下に入るので、
笑いごとじゃなかったかもしれない。
うん、多分護られたんですね、今思えば。

それと、もうひとつは、自宅の敷地内にある
小さなお稲荷さんの祠でした。
父が入院した頃から、私の中で、
その存在がとても気になるものとなっていました。

父の母である、祖母が生きていた頃は、
祖母は毎日、お稲荷さんに手を合わせていましたし、
私も小さい頃は、何かというと、
お稲荷さんにお願いしておきなさい、とかね、そう言われていたので、
裏庭の片隅にあるその小さな祠にお参りするというのは、
大学受験の頃まで、極々日常の風景でした。

私は全く知らなかったのですが、
うちの実家は、祖母の親の代の頃まで、
下駄屋とお茶屋を営んでいたようです。
だから実家には、アルミ板を中に貼って湿気が入らないようにした、
大きな茶箱がたくさんあって(どこの家にもあると思ってた(笑)
祖母は鼻緒のすげ替えが上手であったと、叔母から聞きました。

あの辺りの土地は、日光修験道、奥日光の手前の地域で、
修験者達が奥日光に挑戦する前に、体を馴らす?横根山という山の麓の
小さな宿場町みたいな形の発展をした側面もあるようなんですね。
そういえば自宅にお稲荷さんのある家、結構多かった気がします。
だからもう、お稲荷さんはどの代からのものかも分からないのですよ。

ただ、私の中でも、今、後を取っている弟の中でも、多分、
お稲荷さんは祖母のものというか、祖母までのものって感覚が大きくて、
父も母も、時節毎のお供え物は欠かしませんでしたけど、
日常的にお参りするという習慣は持っていなかったと思います。

なので例えば、もし今後代替わりとなり、
なんらかの事情で、あの土地を手放すことになった時には、
お稲荷さんをどうするのかってことが、きっと問題になると思っていました。
ご近所でも、確かここに〇〇さんちがあったよね?みたいな、
跡取りが外に出てしまって老朽化した家を処分した後の、
空き地や駐車場があちこちにある地域なので。

そう思うようになってから、
入院している父の見舞いに行った際には必ず、
自宅前の川と共に、お稲荷さんにも、
清めのお酒を撒いていたんですね。


さてそれは、同年7月26日、父の49日の日でした。
私は千葉の自宅から日帰りすべく、
朝早くから車で栃木の実家へと向かっていたわけです。
いつものように圏央道を使って茨城を経由していたんですが、
千葉と茨城の県境辺りで、
前の車もほとんど見えないくらいの大雨にみまわれました。
喪服で事故とかシャレにならんと思いながら、必死で運転し、
千葉を出た辺りでようやく小雨になって、ほーっと気が楽になった時、
突然、それはやってきました。

白い、何か。
ああ、白いと思った時、
面白いもんですよねえ、こういうのって。
一瞬で、それが何か、
どこの何かが、私の中では理解できていたんです。

あの。

遠慮がちに、その白い何かは私に話しかけてきました。
とても礼儀正しい、そんな感じの仔でした。

はーい?

おばあちゃんはいつ頃、帰ってくるのでしょうか。

不意を突かれました。
そこなんだ!?と思いました。
祖母は亡くなってもう18年になるのです。
そういえば、祖母が亡くなった年も、ちゃんと確認してこようと、
前日それも考えていたところでした。

ごめんねえ。
人間ってさ、早いんだよ、短いんだよ。
おばあちゃんは、もう死んじゃったんだ。
もう帰って来ないんだよ。

そう答えた途端。
ものすごい勢いで渦巻いたのは、とてつもなく大きな悲しみ。

そうなんですか?
おばあちゃんには、もう会えないのですか?
待ってたんです。
みんな、もういなくなっちゃったけど、
ぼく、行くとこないし、どこに行っていいか分からないし、
だから、も少し待ってみたら、もしかしたら帰ってきてくれるかなって、
また会えるかなって。
ぼく、また、おばあちゃんに会いたかったから。

どーっとあふれ出る涙。
ええ、私の目からね(^m^)
正直、う・ん・て・ん・ちゅ・う~(>_<。)と思ったんですけど、
こういうの、ホント、運転中に多いんですよ。
外の大雨がやんだってーのに、今度は自分の目かーいっ!っていう。

それは、うちのお稲荷さんにいてくれたらしい、白い狐の仔でした。
仔と言っても、伝わってきたのは、中でも一番若い幼い仔だったってコトで、
どこかから生まれたのか沸いて出たのかは分かりませんが、
それでも、120年とか150年とか、そういう単位で過ぎている模様です。

眷属チームの中では一番の若い仔。
だから、他の年長の眷属達が去っていっても、
行き場がなく、連れていっても貰えず、
仕方なく、もう少し待ってみようと決めて、祖母が亡くなってから18年、
そこでただ、待ち続けてくれたみたいなんですよ。

正確には、祖母は80越えてから、感染症で片足を切断することになってしまい、
その後、施設に入所してそこで亡くなっているので、
20数年、になるのかな、お参りできなくなって。

白狐は、寝ていたらしいんですね。
祠の中で、キツネの陶器の置物の中で。
だけど、数か月前から、私が時々清めのお酒をかけていました。
それで目を覚ましたらしいんです。

もしかしておばあちゃんが帰ってきたんじゃないかと。
でも違う。
おばあちゃんじゃない。
だけど、なんとなくこの人を知ってるぞ?
直接聞いてみよう、おばあちゃんのこと、何か分かるかもしれない。
そんな感じでした。

この仔、うちのばーちゃんが大好きだったんだなあというのが、
ガンガン伝わってくるんですよねえ。
切ないんだよねえ、もう。
ごめんねえ、ありがとうねえ、しか伝えられませんでした。

そのうちに狐にも分かったみたいでした。

あ、ぼく、分かりました。
小さい頃、よくぼく達をキレイに洗ったり拭いたりしてくれましたよね。
覚えています、小さな女の子がおばあちゃんと一緒に、お掃除してくれました。

それが、こんなおばちゃんになるワケさ~。
人の時間っていうのはさあ。

その頃から、うちのスピリットのひとつ、オオカミのてんちゃんが、
しぱしぱとしっぽを振り始めていました。
分かってたんだけど。
まだちょっと聞きたいことがあるから、まあ待て(^m^)

狐は、うちのお稲荷さんに神様はいないこと、
他の眷属達も早々にいなくなってしまって、行方は知れないことを
もう一度丁寧に教えてくれました。

これは私が感じたことですが。
もしかしたら、そもそも最初から神様はいなかったのかもしれません。
もしこれが勧請したものであるならぱ、
神使である眷属たちが、修行のために来てくれていたのでしょう。
土地神さまだったとしても、祠自体は廃れたり荒れたりはしていませんが、
日々、参る人がいなくなってるからね・・・

あの、ぼく、白妙といいます。

狐は少し改まって、ぺこっとお辞儀をして名乗ってくれました。
うわあ、この手の存在に、名乗られたのは初めてだ~と、
ちょっと感動しちゃった(笑)

白妙ちゃんかぁ、なんかちょっと女の子みたいな感じだね。
あ、ごめんね。
でもキミ、すごく丁寧だし、優しいし、ぴったりのいい名前だねえ。

ありがとございます。
そうなんです。ぼくは、こんな感じなので。
だからきっと、どこにも連れて行って貰えなかったんだと思います。

てんちゃんが、また盛大にしっぽを振る振る。
分かった、分かった。

白妙ちゃん、私んとこ、来る?

\( ̄▽ ̄)/←これ、てんちゃん(笑)

えっ、いいんですか?
一緒にいてもいいんですか?

うん、いいと思うよ。
あそこにいても、きっとこれからも余り変わらないと思うし。
何より、おばあちゃんはもう待っていても帰って来ないんだしね。

ぼくも、かあちゃんって呼んでもいいんですか?

えっと(笑)
しっぽ隊は既に勝手に意思疎通をしていた模様です。
天眼と白妙。てんてんとしろちゃん。

うん、いいんだよ~♪

ありがとございます~ううう←まためぇめぇ泣いてる

こんな経緯で、うちのしっぽがこの時から2本になって、
ざ、しっぽ隊、みたいになったワケなんですよ。
あんまり泣かせてもな~と思ったので、
ちょっと聞いてみたんですが。

ここにいるオオカミのてんちゃんはさ、プリンが大好きなんだけど、
白ちゃんは何か好きなもの、ある?

ぼく、お味噌汁が好きです。

味噌汁っ!
渋いなと思ったんですけど、思い出したよねえ。
うちがあげてた、お稲荷さんに定番のお供えものを。

それと、あのぅ、ゴマ味噌のおそうめん・・・

1人で笑っちゃいました。
ご飯とか味噌汁とか、お正月にはお餅とかお雑煮とか、
お盆の時期には、ゴマ味噌だれのそうめん、確かにあげてたんだよぅ~。
忘れてたよ、私も、あの実家特製の冷製ゴマ味噌だれっ(^m^)

分かった、作るね、一緒に食べよう♪

\( ̄▽ ̄)/わぁ♪

しっぽが2本、嬉しそうにわきゅわきゅしていました。

法要の後、親族が三々五々帰っていった後、
私と岩手の伯母(祖母の長男の奥さん)が残り、
少し話をした時、お稲荷さんの話になったんですが。

子供の頃は木の祠だったお稲荷さんが、
いつの間にか石の祠に変わっていたんですけど、
それは岩手の伯父と伯母の願掛けのお礼だったらしいんですね。
そこの長男の国家試験の時、
もし受かったら、祠を新調しますねと、願をかけたんだよと、
図らずも伯母の口から。

なるほど。それも33年ほど前のことになるワケだ。
ただ。
大きな声では言えませんが、木の祠のほうが良かった感。
私が感じているのはね。
石になって、三次元的にはキレイにはなりましたが、寂れましたねぇ。
ま、それも今となっては、のお話。

法要後の食事会の時に、叔父や叔母にもいろいろ聞いてみましたが、
80過ぎの叔父が、物心ついた時には既にそこにあったということなので、
やはりルーツをたどるのは難しいかもしれません。
でも、たとえ神様も眷属もそこにはいないとしても、
祖母があんなに熱心にお世話していたものを、粗末にはできませんしね。
どこかの神主さんに相談しないと、でしょうね。
とはいえ、実際にそれをするのは弟なんですけど。
現実対応担当だから(^m^)

あ、祖母の遺影にも、ちゃんと報告しておきました。

白妙ちゃん、ずうっとばーちゃんに会いたくて、待ってくれてたんだって。
だから、私が貰ってっていいよね。

遺影のばーちゃんは、嬉しそうに笑ってたよ。←ハナから笑顔の遺影です(^m^)

という、白狐の白妙。
お稲荷さんにいたのに、ぼくは一緒にいたみんなみたいに、
ちゃんと神様のところから遣わされた狐じゃないから、
連れてって貰えなかったんだ、ぼくには後ろ盾がないんだ、
みたいなことを気にしていて、どこか自信がなくて、
でもとっても礼儀正しくて、丁寧で、
あなた、どう見てもただの野狐じゃないでしょうよ、って狐なんですよ。
私にとっては別にもう何者でもいいんですけど、
いろんなその筋の人に励まして貰っても、神社で励まして貰っても、
やっぱりどこか控えめなんですね。
まあ、それも資質かと思ってはいるんですけど。

この白ちゃんが、いつごろからだったかな、たまにね。

えっとえっと・・・
かあちゃん、ぼくね、あのね、鈴・・・

とか言い出したのは。

さて、ようやく次回で舞鈴の話(笑)



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