先日、LINE@ご登録のみなさま対象に、
こちらのHSP診断のスコアと共に、てのひら写真をお送り頂ける方を募集しました。
HSP診断テスト
手相の見地から見る繊細さんとHSPとの間に、どんな関連性があるのか、掌の特徴からHSPが読み解けるのか、実例を集めてみたかったからです。
ご協力頂いたみなさま、どうもありがとうございました。
お返しのプチ鑑定もようやく全員お送りできました。たっくさん頂いたので、かなり時間かかっちゃってすみません。
事前に予測していたのは、このテストのスコアが比較的高めであれば、手相にもいくつか繊細さんの特徴が出ているんじゃないか、だったんです。
そしてそれは概ね、予測通りでした。
複数の特徴を持っておられる方が多かったですね。
これが出ていればという共通する特定のものを見つけるのは、う~ん、ちょっと難しいかな。そこまで単純ではないだろうなとは思ってましたけど、それも案の定でした。
ただ、複数の繊細さんの特徴があっても、思うよりスコアの低い方もいらしたんですよね。捉え方の問題なのか、明らかにそこに線引きができる、制御できる強い資質を持っておられるのか。
それについては、今のところよく分かりません。
HSPの概念は、アメリカの心理学者、エレイン・N・アーロン博士が提唱したものです。
The Highly Sensitive Person
こちらのサイトには、アーロン博士のチェックリストがあるんですが、先の診断サイトは、 デンマークの心理療法士、イルセ・サンさんのチェックリストを元に作られたものだと思います。
なぜイルセさん版を使ったかというと、チェックするだけで結果が数値で出てくるために、比較しやすいかなと思ったワケですが、以前、日本人にはもしかしたらイルセさん版のほうが向いているかもと、書いてらしたHSPさんのサイトを見たからでもありました。
ただそれでも、とても戸惑った方が多かったと思います。
私自身も、あ~、これなあ…と思いつつやったんですけど。
HSPの概念は、それ自体が繊細なもので、人種というか、国民性というか、日本人の根底に流れるところの「道徳的には」「言外の空気を読め」「おてんとさまが見てる(笑)」そんな道徳観、倫理観含む感覚も、大きく結果を左右すると思います。
日本人にHSP気質やエンパスが多いっていうのも、こういった国民性によるのだと思われ。
あ、HSPとエンパスの違いは、ここが分かり易いでしょうか。
【HSP・エンパスかも?】感受性・共感力が強すぎてつらい人の12個の特徴
共感力が高いエンパスとは?リアル特徴20選と3つの対策
更にテストはどちらも翻訳文ということもあってか、日本人の感覚に照らし合わせると、設問文にも補足が必要だよな~と思うところも多いんですよね。「心の中が歓喜の声でいっぱいになる」って、ただ気持ちいいな、嬉しいなと、どう違うんだろう…とか。私はこういうところに引っかかりました。
他にも、自分が良心的であるか否か、みたいな設問については、アーロン博士のほうのこのページを見て頂くといいかな。
http://hspjk.life.coocan.jp/selftest-hsp.html
「 とても良心的である」という設問について、管理者の方が補足を入れておられます。本当に根っから良心的な人はむしろ、自分を良心的であると評価しないかも、みたいなところ。「そう」である人は、それが当たり前だと思っているから、別に普通だし特筆すべきもんでもないし、と思いますよね。それ言ったら、設問全部そうなんですけど(笑)
ただこれ、HSPの場合は、根底に別の感覚があります。
※1管理者から: 原文は “I am conscientious.” conscientious とは、何かをするときに、誠実に、良心的に、注意深く、真心をこめて、行き届いた、きめ細かに、細心の注意を払って、きちんと、適切に、正確に行う、といった意味がある。
この“私は良心的である”という項目にとまどい、どう回答したら良いのか迷う方はとても多いのではと思います。良心的な人ほどイエスと答えられないかもしれません。訳者も最初とまどいを感じた一人でしたが、以下のアーロン博士の文章を読んで、確かにこの項目はHSPの神経システムの特徴、特に“深く処理する”という特徴をよく表している設問なのではないかと思うようになりました。もしかしたら参考になるのではと思い、ご紹介しておきます。
“原因がもたらす結果にとても敏感なので、より良心的に行動しようとする。これはHSPが、このままにしておいたらどうなってしまうのか、あるいはこうしたらどんな結果が待ち受けているのか、ということについてよく考え、結果を予測し、それに基づいて行動しようとするからである。”
“私は、HSPの持つ誠実さ倫理観の高さは、他人が作った倫理規定を遵守しなければならないという気持ちよりも、この行動がどのような結果に結びつくのか、ということを非常にリフレクトする(何度も考える)結果として生じているように思える。”
(PSYCHOTHERAPY and the Highly Sensitive Person p.6, 25)
The Highly Sensitive Person より
これを読むと、HSPは、単に良心的である、誠実であるという、一見道徳的で倫理的な行動の奥に、少し特殊な理由を抱えていることが分かるのではないかと思います。
私自身も思いっきりコレです。補足バンザイ♪
決して私は「いい人」なんかではなく、より道徳的に行動しているつもりもないけれど、行動と結果から見ると、人が良いと言われてしまうことが結構あるんですよ。でも、倫理規定を遵守するっていう生真面目な厳格さは、実は余りありません。これ「他人の作った」という言葉がついているのがポイントで「自分の中の正義に基づいて」とは違うんで。
とはいえ、さほど悪人だとも思ってないし、今更この年で、厨っぽい偽悪趣味もないけどさ(^m^)
ただそこに違和感というか微妙な齟齬があって、私、結構黒いよ、そんないい人じゃないよって言葉で、身近なみなさんには時々口走っていたりします。
でもさ、どんなに「深く処理」して先の先まで何度も考えて予測して行動したとしても、ぐぁあぁあぁ、この結果か!あん時あーしとけばよかったー!は、ふつーにありますよ。全部回避は無理です。そこ、HSPは気にし易いから余計なのかもだけど。
ただまぁ普段、自分の「いい人」行動の裏側を考えてみる機会って、そんなにないんじゃないかと思うんですよね。
自分の質に疑問を持って、なんだろうこの影響され方、この疲れ方、この面倒くささ(涙)みたいなところにフォーカスして調べたり、探ったりした経験がないと、ここには辿り着かないというか。そういう自己判断の難しさ。
でもHSPでこのタイプの質が強めなら、この補足読めば、あ、それ、そこだ!って、すっと納得できちゃうと思うんだよね、多分。
こういった自己診断の目的っていうのは、そこにベクトルを向けるキッカケになればってところだと思うんです。結果はどうあれ、状態に不都合を感じて困っていれば、そこから更にその概念について自分で調べたり、本を読んだりするでしょう?
最初の写真は、それで私が読んでみた本達。検索もしまくって、そういうことかー、これ否定できないわー、う~(>_<。)ってものすごく腑に落ちましたもん。どういう時にしんどさが出るか、どうすれば軽減できるか、いろいろとやりましたもん。
だから、自らそこに向かって行動する気が起きないなら、普段さほどの問題も感じていないってことだと思うんですよ。どれだけ高スコアだったとしてもね。
それでもHSPかと言ったら、どうなのかな、私にそこは分かりません。でも別段問題を感じてないなら、いいじゃん、それで幸せじゃん?それだけのコトですよね。
そもそも「共感」という言葉ひとつ取っても、心理学的な意味は何種類かあるらしいんですよ。
だいぶ前に私が最初にHSP、エンパスという概念を知った時、共感力が高いと説明されていた文章を読んで自分は違うと思ったのは、この「共感」という意味を、人の悲しみを自分のことのように一緒に悲しむ、親身になって心を寄せる、どちらかと言うと同情心により近いと解釈していたからです。
私、そこ比較的薄いの。酷いでしょう?(^m^)
例えば「こんなに辛いのに誰も分かってくれない」的な言葉に対しては、
「分かりませんとも。当たり前でしょ、だって私はあなたじゃないもの」
と思うくらいには、それも食い気味に思うくらいには(笑)冷静な薄情者なんですよ。
同じように解れと言われても、絶対に無理だと思ってるんです。
可哀そうに、気の毒にと思う心は勿論あります。だけど、一緒になって同じ辛さに埋没することはできない、厳密には。
もしかしたらこれは、アドラーさん言うところの「課題の分離」が、比較的はっきりしているからなのかもしれませんが。
だから井戸端的な会話で、みんなで一緒になって、え~、ひっどぉ~い!で盛り上がってる時とか、ひとりだけ声出してないことも多かったりします。
若い頃は否定したら申し訳ない気がして、無理して同調して、まんずロクな目にあわなかったとか(笑)そんな失敗も多かったので、今は本当に心からそう思う時以外は、お付き合いでも安易な同調はしないほうです。手相でも星でも、感情型じゃなくて思考型ってところも大きいとは思ってるんですけど。
そんな私が、共感能力高いってないわーと思ったんです、最初は。
だけど、それは大きな誤解でした。「共感」ってそこだけじゃなかった。
社会心理学者のマーク・H. デイヴィスさんって方が作った
対人性反応性指標(interpersonal reactivity index,IRI) というのがありましてね。
デイビスさんによれば、共感には4つの次元があるそうなんです。
「共感的関心、配慮」
--(他者の幸不幸に共感する気持ち)
「個人的苦痛、苦悩」
-- (他者の不幸な境遇を我が身に置き換えて恐怖を感じる傾向)
「空想」
-- (フィクションの人物に感情移入する傾向)
「視点取得」
-- (他者の立場に立って物事を自然に考えることができるか )
これだけでも、「寄り添う気持ち」みたいなものだけじゃないことが分かりますよね。
で、こちら、社会心理学を勉強されてる方の作られた、簡易診断。
ご興味のある方はどうぞ。
http://cgi.geocities.jp/socialpsychotan/test/shindan.php
このテストの詳細説明についてはこちら。
https://togetter.com/li/782756
これでいくと、私は「空想」の部分が「S」「気持ちの想像(視点取得)」が「A」あとは「B」ですね。想像力、妄想力で感情移入過多な合理主義。まんまだな(笑)これ一般的な心理学的見地からいくと、決して共感力の高いほうではないと思うんですよ。上2つの、心、感情の動きが平均点くらいなので。ま、これ見てもやっぱり自分は思考型だよなと思う。
これはあくまでも「共感」って言葉の心理学的な分類なので、イコールHSPってことではないんですけど、HSPであれば、いくつかはそこそこ高い数値も出るんだろうと思います。ざっくり描くと、こういうことだと思うので。

そして、こちらもちょっと面白いのでご紹介。
http://www.ritsumei.ac.jp/psy/column/29/
この写真の矢印ついている人。これがEmpathyの表れなんだそうですよ。
棒高跳びしてる人見ながら、自分も足を上げてますよね。
そしてこれ、私、はっきりと同じことをしていた記憶を持っています。
最初に気付いたのは小学生の頃だったんですけど、体育の高跳びの時間、自分の順番が来るまで並んでいる時、無意識のうちにいつも、これやってたんです。
気付いた時には、我ながら可笑しくってね~。だけど人に言ったら笑われるんだろうなと思って、誰にも言ったことはないんですけど。
でも絶対に上がっちゃうの、自分の足が。やめようと思って足に意識を集中して踏ん張ってると止められるんですけど、ああ、次だ、自分だ、飛べるかなあ、飛びたいなあ、なんて思いながら前の人が飛ぶのが目に入ると、絶対に上がっちゃうの、ふいっと自分の片足が、無意識に(笑)
当時は、変なの~、なんでだろう、みんなやってないよなあって、周囲を観察してたくらいで、それ以上深く考えませんでしたけど。
でもそれから40年以上経って、このサイトを見てようやく、あれはそういうコトだったのかー!と、久々に感覚を思い出してニヤつきました(^m^)
なんてなことを考え合わせるに。
HSPとしてエンパスとして困った状態、そんな自分を持て余すというのは、無意識にそうなってしまう、自然とそうなってしまう、否応なしの反射みたいなもの。それを制御するには結構なエネルギーが必要である。
そういったところもひとつ、ポイントとなるのかもなと。
よくHSPの例として出される、自分以外の誰かが叱られていたり、一緒に部屋にいる誰かが不機嫌だったりすると、自分もダメージを受けるって話。
私の場合は、自分が叱られているように落ち込む訳じゃないんですよね。どよ~んとはするし、大声にはビクつきますが。不機嫌な人と一緒にいる時も、自分も一緒になって不機嫌になるというか、相手の態度や醸し出す空気のトゲトゲに反応して、居心地の悪さやイライラを感じてるんですね。不機嫌やその原因に心は寄せていない。
ただ、消耗します、ものすごく。神経に触る。エネルギーを失う。
その「気」にやられるって言い方が一番近いと思います。
これをシャットアウトするには、全く別の関係のない作業に集中したり、空想や想像の世界に自分の心を完全に没頭させたりしないと難しいんです。
私はそうってだけで、HSPであればそうって話ではないんですけど、でもやっぱりただ繊細で傷つき易いとか、同情心に篤いっていうのとは、少々ニュアンスが異なる気もするんですよね。繊細で傷つき易くて優しくて同情心に篤いHSPも、当然いると思いますけど。
もうひとつの事例は、SNSですね。
今はちょっと下火かなと思うんですが、2~3年前かなあ、一時盛んに動物虐待を告発、糾弾するサイトをシェアする方がたくさんおられました。
そういった社会的な問題に関心を向けることは大切だと思います。知らないことはないことに等しいので、明らかにある事実は知っておかなくちゃ、より多くの人に関心を持ってもらわなくちゃというのも 、理性では充分に分かります。
だけどね、シェアされているそういったサイトのサムネイルを、私はどうにもこうにも正視できませんでした。苦しくて、痛くて。
その感覚をどう説明したらいいかな。ちょっと難しいです。
その悲惨な状態、状況が、可哀そうとか気の毒とか、そういう心の動きじゃなくて、心すっ飛ばして、体に直接受けるダメージみたいな感じ、私のは。実際に自分が息苦しいとか皮膚が痛いとか、体験している訳では勿論ないんだけれど、でも限りなくそれに近く、ただただ、苦しくて痛くて、呼吸が浅くなって息が詰まって、どーっと消耗するんです。
なので申し訳ないけど、その時期フォロー外した方、結構いたの( ̄▽ ̄ゞ
あとこれはねえ、ちょーっと汚い話なので、すみませんすみません。
想像したくない方はこの先の1節飛ばしてください(笑)
10才くらいまでだったと思うんですけど、例えば学校で気分が悪くなって吐いたりする子がいたとしますね。その時、自分は別に風邪も引いてなければ体調が悪い訳でもないのに、それでも私はうっかり一緒にケロッケロ吐く子供でした(大笑)どーにもこーにも避けられなかった。その場に居合わせてしまうと。
これもねえ、どうしてだろう、なんでいつも自分はこうなんだろうって、密かに悩んでましたよ。恥ずかしいやら悲しいやらで、弱っちい自分の胃腸だか気分だかを随分と責めてみたりして。フィジカルではやってないけど、マインドはそんな自分をグーで殴ってた、みたいな。
高学年になる頃は、そこの抑え方はなんとかできるようになりましたけど、殊更に知らんぷりをしていないとキツかったので、大丈夫?なんて駈け寄れないから、保健委員だけはできれば避けたいと思ってたっけな~(^m^)
こうしてみると私の場合は、体の感覚として出てくることが多いんでしょうね、心の動きそのものというよりも。私が思考型で、心の動きに強くフォーカスし難いってところも大きいのでしょうが。
だからこそ特に、石が有効に使えるのかもしれません。心を持っていかれるというよりも、体が引き受けてしまうために。
そしてHSPやエンパスの中には、体も心も、やられてしまうタイプも多いんだろうってことです。自身に起きたことで自分が気にし易い、くよくよし易いというだけではない、もひとつ奥まで忍び込んでしまう、どうしようもない影響。または自分に起きたことではなくとも、同様に心に体に染み入ってしまう、抗えない影響。
ったく、厄介なもんだよねえ(笑)
でも「そう」生まれてしまったからには、自分で対処できるようになったほうがいいし、その有効な使い方を模索してみるってのが、限りある三次元の時間をより良く楽しく生きるコツなんじゃないのかな。
嘆くだけではなく、クリエイティブに。
主体性を持って、自分を生きる、ですね。
そしてそれは、私がてのひらを観るベーシックな意義と全く同じものなのです。
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